劉、
私の作った蒸し鶏を食べ、こう言ったね。
「これ、専門店の料理をお皿に盛ったんだろ~。」
「難民キャンプ」と呼ばれていた、昔住んでいたアパート。
6畳一間に、毎晩大勢の後輩や仲間達が集まった。
お給料の多くが、食事の買い物に消えるほどで。
蒸し鶏を作ると、今も思い出す。
よく、淡いピンクのシャツを着ていたな。
スラッとしたイケメンで、
折れた優しさの先端を尖らせ、
頑なにものを話す子だった。
肩すれ違うように出逢った、劉。
思い出は、何故か今も鮮やかに蘇る。

劉、泣いていたよね。
「指紋強奪される時の気持ちがわかるかよ?!」
「大学をトップで卒業しても、
一つの就職先も無いみじめさがわかるかよ?!」
”在日韓国人というだけで、何も報われない”
彼の言葉は私をすり抜け、日本に訴えていた。
当時、情報処理の仕事をしていた私。
ぶつけどころの無い憤り、仕事が出来る感謝。
翌日、ひとつひとつのキーボードを叩きながら流れた涙は、
劉がくれた涙と、どう重ねる事ができていたのだろうか。
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時を超え、今日は人権週間のコンクール作品表彰日。
毎年、この公募で娘達は賞を頂いている。
今年はポスター。
劉、私は今、韓国にいっぱい友達居るよ。
精一杯、子供達にも伝えているよ。
1990年代、早稲田実業高校に通っていた劉君。元気ですか。