11.27.2009

ただいま。



































暫く、郷帰り。。。少々の御用事で。ヽ(´ー`)ノ










街はクリスマス一色!写真左は、「MIKIMOTOパール・ツリー」。
”これは私のツリー!”思って育ったのだから、子供でしたね。(ノ´∀`*)
 















賑わう交差点から家まで、徒歩10分。
写真は、足の後遺症がひどかった頃、捕まって歩いた橋のランカンです。
例え半歩でも、例え10cmでも、”進めば、必ず辿りつく”と、教えてもらったけ。

 





実家からの景色です。 もう何もかも変わって、
レインボーブリッジも、
観覧車も、
花火大会も、
東京タワーも、
み~んな、見えなくなっちゃいました。












残る唯一の景色は、富士山。(写真下)
これが見えなくなるのも、
時間の問題かな…。
山の姿を遮るは、霞ヶ関ビル。
このビルだけは、昔からの景色。
山肌の影が見える朝の方が、綺麗です。




11.04.2009

私はおどんぶりになりたい

春に採った山菜で山掛けうどん


もし 人が器に見える眼鏡があったら面白い。
お茶碗さんに、取り皿さん、マグカップさん。


あ、お猪口さんとお猪口さんが喧嘩。
あーあ、す~ぐ中身がこぼれて口が欠けた。


お茶碗さん、タライさんにいたずら。
でもタライさん、悪さするお茶碗さんを
そっくりそのまま、懐に入れた。


ふぅ、あたたかいおうどんを御馳走様。
食べ終わった後の器で、冷たい両手を温める。
私はこんな、温かなおどんぶりになりたい。


11.01.2009

天空の雲突城から


この日は、水害にあった佐用町の、子供向けスクールの再開。娘を送った後、さてどうしようかと、夫婦で北へ!「あ、あそこあそこ!あの城跡に登ろうよ!!」…それは、通るたびずっと気になっていた城跡。見上げる山のてっぺんに、僅かに崩れた石垣が見えていた。
隣の山から、尖峰な馬の背を行く。
山道に馴れたつもりでも、緊張の斜面。”下りはかなり辛いな…”









…でもそのご褒美は、頂きに。


これは利神(りかん)城。関が原の合戦後、池田由之(池田輝政の甥)が5年の歳月を懸けて築城。崩れた山肌の全ては、見事な石垣であった。しかし播州姫路 城の側西にあって、「雲破りの城」と名を馳せた要塞に、輝政は由之に退城を強いる。さぞや無念であったろうと心馳せれば、それでも天空に貫く見事な城は、 実は後に、仏が由之を導いた天道でもあったのではなかろうかとも感ずる。