この日は、水害にあった佐用町の、子供向けスクールの再開。娘を送った後、さてどうしようかと、夫婦で北へ!「あ、あそこあそこ!あの城跡に登ろうよ!!」…それは、通るたびずっと気になっていた城跡。見上げる山のてっぺんに、僅かに崩れた石垣が見えていた。
隣の山から、尖峰な馬の背を行く。
山道に馴れたつもりでも、緊張の斜面。”下りはかなり辛いな…”
…でもそのご褒美は、頂きに。
これは利神(りかん)城。関が原の合戦後、池田由之(池田輝政の甥)が5年の歳月を懸けて築城。崩れた山肌の全ては、見事な石垣であった。しかし播州姫路
城の側西にあって、「雲破りの城」と名を馳せた要塞に、輝政は由之に退城を強いる。さぞや無念であったろうと心馳せれば、それでも天空に貫く見事な城は、
実は後に、仏が由之を導いた天道でもあったのではなかろうかとも感ずる。

