あれから、二十数年の時が経っていました。
私は今、この慰霊碑の前に立っている。
秋空の下。
十代の私は、慰霊碑のずっと後方の、左の階段の隅に居ました。
その時の私は、全国の学生の手による某コンクールで、
関東・北関東甲信越の実行委員長をしていました。
でも自分の無能さや至らなさに打ちのめされ、
毎日が駄目押しの涙。
そのさなか、修学旅行で行ったのが原爆被災者の慰霊碑でした。
その前で、考え込んでいました。
”こんな私が、平和のために何が出来るの・・・”
”そうか、そうなんだ。コンクールを成功させよう!”
コンクールの趣旨は、「正論」ではなく「こころ」。
だから、原稿を読むだけでは本当の成功とはいえないのです。
関わるスタッフは100人以上。参加者は300人以上。
…どうか、
多くの仲間がこのコンクールでこころをひとつできますように。
そうしていつか、
一人一人がこの経験を以って優しい社会を作っていけますように。
そして”もう一度、必ずここに来ます”と誓ってから、二十数年。
コンクールで号泣し抱き合った仲間達も、私も、
もうすっかり大人になってしまった。
”ただ今。遅くなりました”
そう言った私の横には、夫と子供達が居ました。