「きれいね。」
「そうだね、きれいだね。」
「おいしい?」
「うん、おいしいね。」
----ある教養番組。家にはテレビが無いので、熱の引き始めた子供と、
久しぶりにプロジェクターを繋いで番組を見た日のことだった。
「こんな風に言葉を交わすように、ひとが「ことば」をもった起源は、
”共鳴しあいたい”というこの想いだったのではないかと言われて
います。これを「ファティック」というのです。」
「うん、うん。。いい言葉だねーぇ。。。」
「ホントだねーぇ。」
わたしは「共鳴」という現象が、大好きだ。
だってほら、誰かが私に話をする。相手が表現しようとするその世界に
心を寄せ、同じ視線に立つと、自分も一緒になって笑ったり、怒ったり!
話をするとき、二種類の人が居るかな。
「そうだねー。」と、まず一緒に頷いてくれる人と、
「でもさ‥。」と、最初から否定的に話をする人。
どうせなら、共鳴しあいたい。
もしも「でもさ‥。」と言いたくても、まずは素直に、相手と共鳴したい。
それに何よりの幸せは、”共鳴し合いたい”と思える、相手が居ること。
うれしい。(* ^ _ ^ *)
「そうだね、きれいだね。」
「おいしい?」
「うん、おいしいね。」
----ある教養番組。家にはテレビが無いので、熱の引き始めた子供と、
久しぶりにプロジェクターを繋いで番組を見た日のことだった。
「こんな風に言葉を交わすように、ひとが「ことば」をもった起源は、
”共鳴しあいたい”というこの想いだったのではないかと言われて
います。これを「ファティック」というのです。」
「うん、うん。。いい言葉だねーぇ。。。」
「ホントだねーぇ。」
わたしは「共鳴」という現象が、大好きだ。
だってほら、誰かが私に話をする。相手が表現しようとするその世界に
心を寄せ、同じ視線に立つと、自分も一緒になって笑ったり、怒ったり!
話をするとき、二種類の人が居るかな。
「そうだねー。」と、まず一緒に頷いてくれる人と、
「でもさ‥。」と、最初から否定的に話をする人。
どうせなら、共鳴しあいたい。
もしも「でもさ‥。」と言いたくても、まずは素直に、相手と共鳴したい。
それに何よりの幸せは、”共鳴し合いたい”と思える、相手が居ること。
うれしい。(* ^ _ ^ *)